協会サポーターのご紹介

2025.07.01

学ぶことは、
自分を守り、
誰かを守る力になる。

梅澤貴典 氏

中央大学職員・図書館司書

中央大学 職員 都留文科大学 非常勤講師 中央大学理工学部の図書館において、電子図書館化と学術情報リテラシー教育を7年間担当。 働きながら東京大学大学院の教育学研究科大学経営・政策コース修士課程を修了し、大学生や社会人大学院生に向けた図書館や学術情報データベースを活用した教育研究支援とその効果を研究。 最近は、生成AIの進化を踏まえた探究学習の支援を目指しており、小学生を始め中高生や一般市民・企業人も対象とした、学術情報リテラシー教育による知的生産力・企画立案力の向上策についても研究と実践を続けている。

大学職員として図書館に勤務した経験を活かし、学術情報リテラシー教育の最前線に立ち続けてきた梅澤貴典さん。司書資格を出発点に、働きながら大学院に進学し、現在は高校生からシニア層までを対象に「学び方を学ぶ」教育活動を、ライフワークとして展開しています。
今回のインタビューは、梅澤さんが講師を務めた「武蔵野プレイス」での市民講座「大人のための『王道』独学術~ネットと生成AIを凌駕する図書館活用法~」への参加をきっかけに実現しました。
語られたのは、「情報にどう向き合うか」「資格に何ができるか」、そして「なぜ、いま大人こそ学び直す必要があるのか」という問い。そこには、雇用クリーンプランナーの理念にも通じる、確かな言葉が詰まっていました。
学びとは、自分の可能性を広げること。そして、ときに他者を守る力にもなること。
いま、もう一度「学びたい」すべての人へ。このインタビューを読み終える頃には、「なぜ学び直すのか?」という問いが、あなた自身の中にも、芽生えているはずです。

 

情報を扱う仕事から、「学びを支える人」へ

――ご経歴と現在のお取り組みについて、ご紹介いただけますか?

梅澤:私は現在、中央大学の職員として勤務しています。教務や入試などの部署も経験しつつ、理工学部の図書館に7年間配属され、図書館司書として働いてきました。学生時代に司書資格を取得したことをきっかけに、情報に関わる仕事を志すようになったのが出発点です。
図書館で働くなかで感じたのは、「図書館司書」という仕事が単なる「情報・資料の提供者」ではなく、「学ぶ人を支えるプロフェッショナル」であるということです。理工系の大学院生や研究者と向き合い、「どうすればこの人の悩みに応えられるか」と常に考えながら、学術情報データベースなどの知識基盤を整備し、その活用法を教えてきました。
 

ただ、支援するだけでは自分の知識が一方通行になると感じ、30歳のときに東京大学大学院教育学研究科に進学しました。働きながらの修士課程で、時間も体力もギリギリでしたが、論文を書く経験を通じて初めて、「情報を切実に探し求め、使う側」の視点を実感できたように思います。
現在は、高校生や社会人向けの探究学習支援や図書館での情報リテラシー講座、シニア層への講演などを行いながら、幅広い世代に向けた「学び方を学ぶ」活動を続けています。近年は生成AIなどの技術にも目を向け、「表層的な情報」に流されず、深く確かな情報にアクセスするための力を育てる講座も行っています。
 

現場で学びに迷う人と向き合い続ける中で、はっきりと感じていることがあります。学びとは、「いま、目の前にいる自分の可能性を押し広げるもの」だということです。
 


 

「価値ある情報は、責任とともに流通する」

――講義の冒頭でおっしゃっていた「価値ある情報は基本的に有料である」という言葉が印象的でした。無料で情報があふれる今、なぜ「有料」が大事なのでしょうか?

梅澤:この話をするとき、私はよく自分の本の執筆経験を引き合いに出します。岩波ジュニア新書から出した『ネット情報におぼれない学び方』という本は、定価900円ですが、完成までに2年かかりました。編集者とのやり取りは何十往復にもなり、引用ひとつにしても原典の記載内容まで確認され、また徹底したファクトチェックが行われます。
そのプロセスを通じて私は、「有料である」ということは、単に値段がついているということではなく、「情報に対する責任」がともなっているということだと実感しました。
 

つまり、有料で発信される情報は、それだけの覚悟と検証を経て届けられている。だからこそ、それを受け取る側も「これならば安心して使っていい」と自信を持てる情報になるのです。
 

――確かに、無料の情報の多くは誰が言ったか分からず、裏が取れないまま流通してしまう印象があります。

梅澤:まさにそうですね。検索エンジンで私たちが日常的に触れている情報の多くは、「表層Web」と呼ばれるごく一部の領域で、ネット全体の5%にも満たないと言われています。
 

残りの95%には、専門データベースや学術論文、電子書籍、法令情報といった、本当に信頼できる情報が眠っている。でも、そこにたどり着くには、たとえば図書館で契約している新聞記事データベースを使うなど、「どこに行けば、どうすればアクセスできるか」を知っている必要があるんです。
 

この「知っているかどうか」が、情報格差を生む最大の要因です。
 

――雇用クリーンプランナーでも、労務やハラスメントに関する「正しい情報を知っているか」は非常に重要だと感じます。

梅澤:ネット上にある曖昧な情報をもとに「これはパワハラだ」「これは違う」と判断するのではなく、法的な定義や実際の事例にきちんとあたる姿勢が必要です。そのとき、図書館や公的機関、あるいは専門家が提供している信頼性の高い情報を知っているかどうかが、判断の精度を大きく左右します。
情報の質は、学びの質を決定します。そして、学びの質は、自分や周囲を守る力につながっていく。それを伝えていくことが、私のライフワークでもあるんです。
 

上下関係が支配する、見えないハラスメント

――「ハラスメント」という言葉には職場・学校・顧客など様々な場面で使われますが、大学という現場で特に起こりやすい問題はどのようなものでしょうか?

梅澤:これは特定の大学に限らず、世界中の大学に言えることですが、大学という組織は、見えにくい上下関係や評価構造が強く作用する場でもあります。たとえば理系の研究室では、「推薦枠」「研究ポスト」など、将来に関わる人事や評価を指導教員が握っていることが少なくありません。
 

それに対して学生側が疑問や不満を抱いても、「この先生に逆らったら、進路に影響するかもしれない」と思えば、声を上げにくくなる。
この構造がある限り、たとえ明確な暴言や暴力がなくても、「従わざるをえない雰囲気」そのものがハラスメントを生む温床になり得るのです。
 

――まさに支配と沈黙の関係ですね。企業の職場でも通じる構造だと感じます。

梅澤:厄介なのは、その状態を「おかしい」と感じていても、「声を上げたら自分が不利益を被るのでは」と、誰もがためらってしまうことです。
 

私自身も若い頃、多少なりとも人間関係で困った経験があります。でも経験を重ねるうちに気づいたのは、そうしたときこそ「学ぶこと」が打開策になり得るということです。
 

たとえば、「同じような事例はなかったのか?」「海外ではどう対応されているのか?」と調べていくうちに、自分が「従うしかない立場」ではなく、「考えて改善することができる立場」にいると気づけるようになるんですね。
 

――まさに、知識が「選択肢を持つ力」になるということですね。

梅澤:状況をすぐに変えるのは難しくても、「選べる可能性」や「疑問を言語化する力」は、学ぶことで確実に手に入れられる。それが、ハラスメントという構造に対して、自分なりの選択肢を持てるようになる第一歩だと思っています。
 

「一次情報にあたること」が、加害も被害も減らしていく

――講義で印象的だったのが、「一次情報にあたる姿勢を持つことの大切さ」です。これはハラスメントの予防や対応にも深く関わっていると感じました。

梅澤:私もまさにそう思っています。ハラスメントというのは、明確な暴力だけでなく、「あの人がこう言っていた」「あいつはこういうやつらしい」といった風評や思い込みから生まれることが少なくありません。
 

でも、多くの人はそれが根拠のない情報だと気づかないまま、その空気に乗ってしまう。結果として、加害者にも被害者にもなってしまうリスクがあるんです。
そういう場面で必要なのは、「ちょっと待てよ、それは本当なのか?」と一度立ち止まって考える力だと思います。
 

――まさに、情報リテラシーと人間関係リテラシーは地続きですね。

梅澤:私が図書館で教えてきた情報リテラシーは、検索の仕方やデータベースの使い方を超えて、「情報を疑う力」「確かめようとする姿勢」を育てるものでした。この姿勢は、人との関わりにもそのまま応用できると思っています。
たとえば、何かに違和感を覚えたとき、「なぜそう感じたのか」「他にも見方はないのか」と考えられる人は、一時の空気に流されずに行動できる。
 

逆に、「みんながそう言ってるから」「上の人が言ってるから」と思考停止してしまうと、意図せず加害側になってしまうことだってあります。
 

――そう考えると、「学び」とは防御でもあり、抑止でもあるのですね。

梅澤:加害者にも被害者にもならないためには、「誰かに従うのではなく、自分で考える」力が必要です。それは、知識を得るという意味での学びではなく、「疑問を持つことを恐れない」姿勢を育てるという意味での学びだと思います。
 

補足すると、ハラスメントや人間関係のすれ違いをめぐる現場では、根拠のない噂や思い込みが、人と人との対立を生むケースが見受けられます。少し立ち止まって調べてみると、誤解が解けて相手への先入観が払拭されることも多いようです。
 

では、どうすればそうした思い込みから自由になれるのか。その際に大切なのが、「縦軸」と「横軸」の視点です。縦軸とは、時代的な文化や背景を超えた視点。横軸とは、所属組織や国などを横断した視点を指します。
こうした軸を持って広く学べる人ほど、思い込みや偏見といった呪縛に囚われず、柔軟に考えることができる。だからこそ私は、大人こそ「幅広い学び」や「知的好奇心」が重要だと考えています。
 

資格は、「任せられる人」になるための最初の一歩

――雇用クリーンプランナーでは、あえて「資格」という形式を取り、能動的な学びを促しています。図書館司書の資格をお持ちの梅澤さんにとって、資格とはどのような存在でしょうか?

梅澤:よく「資格なんてなくても仕事はできる」と言われますし、医師や弁護士のような業種以外は、実際その通りです。私自身も大学図書館で働いていましたが、「司書資格がなければカウンターに立てない」という決まりはありません。
 

けれど、私自身は大学3年生のときに夏期講習で資格を取り、就職後、大学図書館に行きたいという思いを持って実際に異動希望を出しました。
そのとき、資格があったからこそ「梅澤にやらせてみよう」と思ってもらえたのだと思います。「やりたい」という気持ちに、「学んだ証拠」がともなっていたからこそ、信頼につながった、そう実感しています。
 

――資格で意欲を証明するというのは、信頼を得るうえで役にたったんですね。

梅澤:とくに「資格がなくてもできる仕事」の場合、任せる側は判断材料に悩むと思います。そんなとき、資格は「この人は一度、体系的に基礎を学んでいる」という客観的な証明になります。
 

「この人なら、ちゃんと調べて確かな情報が返ってくる」「その知識や技術を、学生や大学のために役立ててくれる」と思ってもらえるようになる。
実際、司書資格があったからこそ、後に情報リテラシー教育に本腰を入れることができ、講演にも呼ばれるようになったと思っています。
 

――雇用クリーンプランナーも、「資格を取って終わり」ではなく、そこから使うことが大切だと考えています。

梅澤:資格はゴールではなく、「学びの土台」や「関係性のスタートライン」だと思っています。そこから先、自分がどれだけ探究心と使命感を持ち、アップデートを続けていけるかが本当の学びになる。
 

資格の価値は、あらかじめ専門家によって体系的に設計されたカリキュラムがあることです。
自学自習では、何をどこから学ぶべきかを自分で判断するだけでも難しく、時間もかかります。もちろん、資格を取って終わりではありませんが、「その後の学びを支える確かな土台」として、資格は、非常に有効なスタートラインになると感じています。
資格があるからといって、何かが自動的に変わるわけではありません。でも、誰かに「この人なら」と任せてもらうには、「一度しっかりと腰を据えて、自分の時間と労力をかけて学びました」という証が必要なときがある。だからこそ、私は資格をとることも、資格を使いこなすことも、どちらも大事にしています。
 

「大人の学び」は、人生に問いを立て直すこと

――雇用クリーンプランナーには、10代から70代まで、幅広い年齢層の受講者がいます。大人になってからの「学び」には、どんな意味があるとお考えですか?

梅澤:私が伝えたいのは、「学びは資格やキャリアのためだけのものではない」ということです。確かに世の中には、不況に強い資格や転職に役立つスキルを学ぶことも大切です。
 

でも、それだけではなく、自分の培ってきた経験や、自分の好奇心に根差した学びこそ、大人にこそ必要なのではないかと感じています。
 

――「自分のホンネや経験に引き寄せて考えること」こその学びですか

梅澤:私がよくワークショップで提案しているのは、「自分がいま抱えている課題を書き出し、それを出発点に、それをどう解決できるか考えてみる」というプロセスです。そうすると、自分にしか見えていない角度から情報を集め、アイデアを出し、誰かに伝える力が育っていく。
それはまさに、「問いを立てて、解決への道筋を描いていく力」です。その力があるだけで、たとえすぐに環境が変わらなくても、自分の気持ちが変わる。行動が変わる。周囲との関係性が変わっていきます。
 

――ハラスメントに関しても、被害や違和感を言語化できるかどうかで、その後の対応は大きく変わりますね。

梅澤:黙って耐えるしかない、ではなく、「私はいま、こう感じている。こうすることを望んでいる」と言葉にできるようになることが、学びの力だと思います。それは、どんなに立場が弱くても、年齢を重ねていても、手に入れられるものです。
だから私は、大人こそ、学ぶべきだと思っています。学び直すことは、過去の人生を否定することではなく、これからの時間を「どう生きてみたいか」を問い直すことでもあります。そしてその問いが、誰かの生き方や職場のあり方を、変えていくことができるのではないでしょうか。
 

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