協会サポーターのご紹介

2023.07.27

クレア人財育英協会には官で出来ない
取り組みをやってほしい。
そのポテンシャルがあると思う

赤木正幸 氏

衆議院議員 日本維新の会所属

衆議院議員(現)。日本維新の会衆議院兵庫県4区支部長(現)。財務委員会 委員(元)国土交通委員会 理事(現)国会対策副委員長(現)などを歴任。また、不動産テック協会 創設代表理事(現顧問)なども兼任。政治学修士・経営管理修士(MBA)、ニューヨーク大学 客員研究員、コロンビア大学 客員研究員。

「政府の『働き方改革』は焦点が定まっていないように感じています」

(酒井)まず、赤木先生は政府の『働き方改革』をどのように見てらっしゃいますか。

(赤木)『働き方改革』の言葉の意味や、その受け止められ方がかなりぼんやりしているなと感じています。言い換えると、焦点があまり定まり切ってない気がしています。
例えば、テレワーク普及で働きやすくしようという動きであったり、働く快適さを論じる、のようなレベルの話もあれば、一方では同じ条件で働いている非正規雇用と正社員の待遇が同一というには程遠いという現状を何とかしよう、というような話もある。
そういった様々な方向性の話を、この「働き方改革」という政策一つの枠内で全て解決しようというのは無理があると思うし、改革というにはかなり曖昧になっているなと感じています。

結局、「働き方改革」という一個のキーワードだけではカバーし切れないぐらいテーマと思うんです。
雇用条件とかの話っていうのはもっともっと重いテーマだと思うし、本当にもっと真面目に議論しなきゃいけない。シビアな話なのにも関わらず「働き方改革」という何か柔らかい耳障りの良い言葉でごまかされている気もします。
それが焦点はあんまり定まっていない、曖昧だなと感じる部分ですね。

私なりに調べたのですが、政府の取組というのは三つ柱があると思っています。
●長時間労働を無くそう ●正規、非正規社員の格差を無くそう ●多様で柔軟な働き方
という三本柱なんですね。
実際にはその時点でもう働き方改革っていうレベルじゃなくて、生き方改革なのかなと(笑)
もちろん長時間労働を是正するということは、かなり改善されてきていると思うのですが、正規雇用、非正規雇用の問題などは全然道半ばだと思いますし、それぞれのテーマによって全然達成レベルに違いがあると感じています。

 

「長時間労働を当たり前だと思っていた。洗脳されていたんだと思います」

(酒井)赤木先生は会社社長としての顔もお持ちですが、それ以前には会社員としての経験もおありです。会社員として働かれていた当時、管理職としてどのように働き方をされていましたか。

(赤木)私自身としても、私たちの世代は長時間労働当たり前でしたが、やっぱり時代は変わってきているということは認識しなければいけないなとは思います。
私は酒井さんと同じ不動産業界でしたが、リーマンショックの前とかは長時間労働が当たり前で、喜んでそれをやっていたんです。残業時間が月三百時間ずっと続いていて、それが当たり前だと思っていたんですね。今思えば洗脳されていたんだろうと思います。
おかしな話ですが、その当時はありがたいと思ってたんですよね。
僕がオフィスで仕事をしていて、派遣の方が夕方18時ごろ帰るときに「赤木さんは今からもう一日が始まりますね(笑)」とか声をかけていくんですよ。確かにそこから朝の四時ぐらいまで更に働いてたんですね。だから同じ一日24時間、同じ日数で倍の経験をしていたんです。土日も入れると下手したら2.5倍から3倍の経験を濃縮してできたっていうのは、今思えばありがたいと思うこともあります。
まあそんな時代でしたね。

そういう就労環境だったので、やっぱり結構みんな頑張っちゃうんですね。そうすると、結果的に病んでしまう人も出てくる。一度病んでしまうと戻ってこれなくなる、もしくは戻るのに時間かかってしまうので、「あー、彼は病みそうだな」と感じたら、上司として無理やり仕事から引き離すということは行っていました。
正直なところ、私自身も何回も失敗しました。自分の身をもって、自分では仕事をストップできないことを知っていた。
本人は周りから差をつけられてしまうので、すごく嫌がるんですよね。だけど、本人のことを考えたらそうも言っていられない。ドクターストップを出してあげて、半年くらいのブランクができたり、そのプロジェクトは一旦外れちゃうけども、そこでやっぱり体調戻して再チャレンジしよう、という話をしていました。
本人にとっても、チームにとっても、会社にとっても、そこは早めに見極めてあげるというのは結構重要でした。
そういうやり方を脈々とみんな学習していたんですね。ちょっと病みそうだなっていう風に思ったときについては、しっかり止めましょうという無形のルールがそこにあったと思います。

 

「難易度や専門性を基準にした職務給になれば、自由な働き方ができるようになる」

(酒井)上に立つ者の能力として、その危険ラインをちゃんと見極められるかどうかによって、本人のみならず組織としても結構差がついてきてしまうということなんですね。
多くの上司という立場の人がいる中で、能力や性格もバラバラということもあって、でも社会的にはある程度マネジメントの結果を均一化させなければならないという事情があると私は思うんですね。
また、働く従業員側としても、バラバラの事情があって、全ての人に同じ条件で働かせる制度だけでは無理が出てきていると感じます。
そのために今、働き方改革であったり、ルールとして結果にバラツキが出ないよう取り組みましょう、という目的で環境整備がされてきていると思うのですが、形になって表れてきていると感じるものはありますか。

(赤木)よく言われる同一労働同一賃金がそれに当てはまるでしょうね。
こういう仕事、こういう役割をする人はこれだけの給与報酬、ということがブロック化されて決まっていれば、半日や一日といった単位でも区切ることができるでしょうし、半日で上がりたい人、例えば子育て中の方などであれば時間分の給料が少なくても構わないといった、しっかりと計画ができると思います。
いわゆる職務給の考え方ですね。業績とか難易度とか専門性とかを基準とした給与だと思います。

日本の場合は今でもやっぱり職能給が根強いと思うんです。いわゆる年功序列に近い。何年やってきているから、中々改善されにくいんだと思います。
そこが職務給になれば、さっき申し上げたような自由な働き方ができるようになるんじゃないでしょうか。

日本の官僚制っていわゆる昔ながら終身雇用ですよね。
僕は大学院の時にちょっと研究してたんですけど、昔の日本ってアメリカに近い形、いわゆる職務ジョブ型を目指した時期があるんです。
職階制って言って、ブロックごとに職務がいっぱい並んでいて、それぞれのその職務に対して給料いくらにしましょう、どういう実績がある人はこの給料にしましょう、というのがあった。
1947年に戦後の国家公務員法ができた時にそれが定められて、実は2007年まで残ってたんですよ。
60年くらい戦後の日本の公務員制度のオペレーションの仕組みとしてあったんですけど、一度も使われないまま無くなってしまった。

(酒井)結局その制度があったのに使われなかったというのは、日本人に合わないと判断されたということなんでしょうか。

(赤木)日本の労働市場がそういう文化(終身雇用)を無くそうとしなかったんだと思います。
合う合わない、というのもあるとは思うんですけど、終身雇用、職能給でやったほうがやりやすかったんだと思うんですね。
なおかつ昔は戦後の高度成長期だったから、長く定年まで雇用するというのが定着していて、多分変える必要がなかったんだと思うんです。変える必要も無いから変わらない。
結局どうしてジョブ型、職能型にできなかったのかを多くの研究者が色々研究してるんですけど、結論としてはよくわからないんですよね。でもかなり理路整然とした、緻密な仕組みとしてあったんです。
でも明治維新の頃から日本の官僚制っていうのは全くそれの対局だったんですね。その文化がすごく根強かったから、変えられなかったんだと思います。

 

「本来給料は会社への帰属意識でもらうものじゃない、貢献度によってもらうもの」

(酒井)今回の働き方改革で「同一労働同一賃金」というスローガンが出ています。このことからもジョブ型に向かっていく意思を読み取れますが、誰がどのような仕事をしているというのは同じ仕事ではない中で比較するのが難しいと思います。
経営者としての立場から、どのように仕事ぶりを見ていくべきとお考えですか。

(赤木)やっぱり一定のルールは必要だと思います。多様で柔軟な働き方というのにはいろんな考え方、価値観で変化するし、ルールが無いと何も始まらないんですよね。ルールが無いと結局皆すくみ合っちゃって事が動かない。
何の仕事をしたらどういうことが起こるかということがある程度は明確でないと評価をできないですよね。
もっと言うと、これからは「自分はこのようなことが得意だから、この部分を伸ばそう」というのが労働者側から出てこないといけない。

最近の働き方改革ではリスキリングのことが話題に挙がっていますが、自分のどの能力を伸ばせばいいか、みんな予想するのが難しいのが現実です。
「とりあえず名前の通っている資格を取ってみよう」とかじゃなくて、大学行ってマネジメント勉強するというのも本来のリスキリングのはずです。でも、現状としては独立できる資格を取ること=リスキリングのようになってしまっている。そのような資格で無くても、会社で仕事に活かせる知識というのはあります。でも、ある程度職能給、ジョブ型の評価制度ができないと、そのようなリスキリングは行いづらいんですよね。

それに加えて、ジョブ型の評価制度ができないと、時短で働く人とか副業で働く人はやっぱりやりにくいと思います。現状はフルで働かないと評価されにくいじゃないですか。
本来給料は会社に対する帰属意識もらうものではありません。何で会社に貢献してるかによってもらうものであるべきです。
営業担当とかだったら数字で評価ができるでしょうが、バックオフィスなど必ずしも数字に出ないけれども絶対的に重要な仕事する人だったら、「こういう仕事を今までこれだけやってきて、これだけのことができるからこういう報酬を支払いましょう」というふうにならないと、労働者も報われないし、長期的に見れば会社にとっても決して良いことはありません。長くいるだけの社員ばかりが増えてしまいますから。

結局、解雇ルールの話も根っこは同じなんですが、この人はこの仕事場ではこういう仕事を求められているけれど、ちょっとできないからじゃあ違うところで能力を発揮してくださいというシステムがあれば、会社も労働者もお互いに納得性があるけれど、現状のように所属することによって給料もらえているというシステムだと、そういう話ができないんです。

 

「離職しても次の仕事が見つかりやすいなら、チャレンジがしやすくなる」

(酒井)つまり、現状の働き方というのは、「いろいろなことに決まりは無いけれども、そこはうまくやってくれよ」といった形であり、その結果、長く居座った人が評価されているというように感じられます。「察する」などに代表されるような、とても日本的な部分だと思いますが、現状には合ってきていない印象があります。これから、どのように変化していかなければならないでしょうか。

(赤木)これは結構悩ましいテーマでして、維新の会でも「解雇ルールを明確化しよう」ということを挙げているんですが、とても誤解されているんですね。ちゃんと聞いてもらえればわかるはずなんですが、「会社は金払え」と「首を切りやすい環境を作る」というふうに曲解されています。

我が国の会社の99%中小企業ですが、中小企業は給与を上げたくても景気悪くなったら会社が苦しくなりますよね。そこで解雇をするという選択肢が無かったら、一度上げてしまった給料払い続けなければならない会社は潰れてしまいます。景気が良いから人を増やしたい、ってもちろん経営者なら思いますよ。でも結局、解雇のシステムとして景気の変動に柔軟に対応することができない。だって景気が悪くなったときが怖いですから。そうすると、結局給料も上げられないし、新たに雇うこともできない。
その結果、もともといる従業員が長時間労働をしてがんばらないといけない。でも、給料上がらないから負担だけ増える、不満も増える、モチベーションも下がるといった悪循環ができてしまうんです。

多分働いている人たちも、離職をしても次の仕事が見つかりやすいという環境があるのなら、より成長している産業、自分の力を活かせる仕事にチャレンジしやすくなると思うんです。
端的に言えば労働力の流動性を高めるということですが、既存の働いてる人の雇用環境とか雇用条件も上げていくためには、その裏返しとしてやっぱり解雇のルールの明確化は必要だと思います。

現状ではそのようなルールが無くて、突然「明日来なくていいよ」と言い渡したりして、本来なら払うべき給料や退職金なども払わずに辞めさせているような、いわゆるブラックな中小企業もあります。それもやっぱり解雇のルールが曖昧だから、それが許されてしまっている。
解雇ルールが明確化されると、そういう一方的に労働者が不利な解雇を減らすことができます。
私たち維新の会の主張を一見して「クビにしやすくするのか」と言われることもありますが、そう言う人は実はいま現在進行形でクビを切られている人たちの存在を無視していませんか、ということなんです。
維新の会では【維新八策】というのがあって、その中の雇用政策として民民や官民の人材流動化を強化しよう、
そのための就労支援や解雇規制の緩和を含む労働市場の流動化を目指そうというものがあります。
あとは先述した正規雇用、非正規雇用の是正格差や、新卒と中途の区分を無くす、グローバル人材育成などです。

結局、労働力の流動性を高めることで日本の経済を活性化させようというのが大きな目標です。そして流動性を高めるには先ほどの解雇ルールが明確化される必要があります。
あとは仕事を評価する、もしくは採用する際に人物を評価する、何らかの物差しが無ければ流動性ってやっぱり高まらない。「ルール」というのが全部に共通しているキーワードだと思います。

「クレア人財育英協会には官で出来ない取り組みをやってほしい。そのポテンシャルがあると思う」

(酒井)労働力として必要な場所に必要な人が行けるような流動性というのが無いために、経済が発展していかないということだと思いますが、私どもクレア人財育英協会としても人の雇用や採用というところにフォーカスしつつ、経済の発展に寄与できないだろうか、ということで活動を行っています。赤木先生からご覧になって、クレア人財育英協会に期待するものはどういう部分でしょうか。

(赤木)先ほども申し上げたことですが、日本の労働社会全体として評価や解雇など、働くという面での共通のルールが無い、または浸透していません。
もう少し具体的に言うと、ルールがありそうで無い世界、パワハラはその典型だと思うんですけど、今だったら「パワハラって本人たちの受け止め方次第だよね」とか言いますよね。この会話を無くしてほしいなと思います。 パワハラは受け止め方じゃないよ、という共通認識を教育で育んで欲しい。
誰が誰にされたとしても、当事者が誰であってもルールとして「これはパワハラの領域に入ってることなんだ」という共通認識ができれば、「あの人がやったらパワハラじゃないけど、あの課長がやったらパワハラだよ」というような曖昧な評価は無くなるはずです。
そういう点で、クレア人財育英協会がこの雇用クリーンプランナーや雇用クリーン企業認定などで、多くの会社に対して共通認識、「こうなったらこれパワハラだよ」「違法な労働だよ」っていう知識付けを広めて欲しいと思います。それによって、経営者や管理職が客観的なものの見方をできるようになると良いですよね。

私は、日本の企業は労働者に対してものすごく萎縮している気がするんです。
もちろん労使関係という歴史を考えると、労働者の方が絶対的に情報的弱者、権利的弱者なんですけど、昨今では一見すると中小企業の経営者の方が、労働者に対して何をしたら、どのような行為がパワハラとかセクハラなどハラスメントや、労働争議等の労働トラブルに巻き込まれるか分からないじゃないですか。

その結果、本来なら従業員のために良かれと思って言わなければならない指導も言えなくなってしまっている。
労使弱者強者関係がひっくり返ってしまっているんですね。本当ならもっとのびのびと仕事をできる環境でなければならないと思うんです。特に今の日本はチャレンジャーなんですから。でも、お互いに萎縮し合ってしまっていて、十分なコミュニケーション、協力体制が取れていません。
何をしたら駄目だというルールがあれば、自信を持って指導も行えるし、委縮した関係性も解消されるはずです。

例えばスポーツの世界は完全に他者との比較の世界ですけど、ここはもう完全にルールで成り立っています。
それも不自由と呼ぶのかということなんです。殴り合いをするボクシングだってルールがあるし、プロレスだって決まったルールの中でみんな切磋琢磨している。ルールの中で動く、工夫するということが共通認識として明確なんですよね。
労働についてもそうなるべきですけど、まだ今はそうなっていないというのが現状だと思います。

(酒井)確かにそうですよね。働く、雇用する上でのルールというのを、経営者や管理する側も、働いてる本人も、誰もが知らないという状態が広く常態化しているのが問題なんですね。

(赤木)そうです。だから、クレームや自己主張などである意味声が大きい人が勝っちゃうとか、裏側のノウハウ的なことを知ってる人が有利という情報格差が労務の世界にはきっとたくさんあるんだと思います。
ものすごく勉強してる人は関連する法律を徹底的に研究して、現行法では絶対に訴えられないレベルで徹底的に搾取しようと思ったらできるし、実際にしている人もたくさんいます。

また逆も然りで、経営者側にも情報弱者はいます。労基法とかあまり法律が分かってない中小企業の社長が、すごく情報に長けた従業員に訴えられてコテンパンにやられるというのが現状ではありうることです。
その情報格差を使った、いわゆる株でいうところの裁定取引のようなものが発生しているから、搾取、不公平が発生するんだと思います。そこはスポーツの世界に近づけるべきかなと思いますね。

(酒井)私たちクレア人財育英協会にできることは多そうですね?

(赤木)雇用クリーンプランナーという資格自体は、多くの経営者や労働者に知識をつけていくというのに良い方法ですし、雇用クリーン企業認定はその雇用クリーンプランナーを広めていくのに良い施策だと思います。
ルールとしての法律は存在しているんですけど、複雑だし理解してる人は少ないですよね。分かりやすいルールである必要があるし、自動車運転免許くらい皆が共通認識として持っておく必要があると思います。
官からの発信で広がっていくことは中々難しいと思うので、このクレア人財育英協会の取り組みは、その端緒として機能するポテンシャルを持っていると考えています。